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ヨーロッパコース 教員

中野 幸男(ナカノ ユキオ)

中野幸男
英語表記 Yukio NAKANO
職名 助教
研究者情報 研究者データベース

学生へのメッセージ

映像を早送りして見る人、ギターソロを飛ばして聴く人など、タイパ・コスパ意識の強い人たちの生き方を聞いていると「そんな生き方楽しい」と聞きたくなるのですが、それぞれ他人の生き方はどのように見えるのかもわかりません。ロシア文学を読んでいると、他人の人生を理解しないことの素晴らしさがわかってくるのですが、他人に自分の人生がどう見えているかなんて考えもしない人たちもいるはずです。ドストエフスキー『白夜』のすれ違い続ける男女の会話は、お互いを何も理解しないまま時間が過ぎていきます。チェーホフの芝居はお互いの話を聞いていません。現在では映画もドラマも作品数が多く、友人間で同調圧力が強く、心の中身をそのままセリフにしてしまうわかりやすい作品が増えたからだそうです。早送りしてみても本数が多すぎる、見てると話のネタになる、省略しても十分話が理解できる、という時代なのでソフトの面でもインターネットやiPadなどのハードの面でも、そういう視聴行動を可能にしているのが現在です。

予備校時代に聞いた話でvacanceというのはvacantと関係があり、そもそも何もしないことなので、休暇というのは何もしないでいい時間ということでした。現在のアメリカ人は余暇があってもスポーツも楽器演奏も教会参拝もしないで、ただぼーっとする(zoning out)というのがアメリカの変化だとロバート・パットナムは『孤独なボウリング』で言っています。「休みに何をする」と聞かれても、心の中の答えは「ぼーっとする」というのは小学生もそうかもしれません。たしかに、ほとんど余暇だった大学時代に何に集中して取り組んだかと聞かれても、私はまともな答えが出てこない気がします。就活学生の作文能力には感心するばかりです。予備校時代に大学に入ろうと無我夢中で勉強している学生に向かって、来るvacantな生活の話をしていたので、虚な目で来るべき大学生活に憧れていました。入学してみると望んだ学校でなかったこともあり受験期の体調不良でそのまま入院、その後回復したものの、専門のロシア語を勉強しながら、夢も希望も目的もない普通の大学生としてバイトとサークルと大学生活を送っていました。1日壁や天井を見ながら、時間の変化と無関係に暮らしているよりも、映画を見る方が何か蓄積される気がしたので「コンテンツ」という意識のないまま本を読んで映画を見続けていました。朝から晩まで映画を見続けると7本見れました。本も積んでいるものを黙々と読んでいくだけなので、何冊か数えなくなりました。今でも冊数や本数を数えません。小金井図書館は冊数無制限で借りることができたので南方熊楠などの全集を借りていたのですが、身銭を切らない本は読まないことがわかり、100円でも払って関心のあるワゴン本を買う様になりました。高円寺まで行けば英語でもフランス語でもドイツ語でもロシア語でも売っている古本屋があったので、そこでは先人の読んだ書き込みのある汚い本や退職教員が売った綺麗な本を二束三文で買っていました。故人が特定できることもあり「あの研究者の蔵書が流れたのか」とか考えながら立ち読みしていました。ギッシングのような古本大国イギリスらしい作家が好きだったのも典型的です。

書いたものを記録に残す習慣は古いMacを買ってからです。それ以前は京大カードという一世代前の勉強法で記録を残していましたが、物理的に場所が足りなくなりやめました。Macは昔は肩身が狭く、派遣社員の面接に行ってもExcelやWordが使えないとわかると即落とされますし、クラリスワークスなんて使えても雇ってくれる人はいませんでした。映画は新宿TSUTATAの「その他」とかにあるメジャーでない国の映画を見ていたので、各国別に分けて1行感想をインターネットにHTMLをつかってホームページを作り記録していました。劇場も渋谷や東中野のミニシアターでよく見ていたので、いわゆるブロックバスターにはほとんど当たりませんでした。その後、派遣先で知ったExcelに記録を残す方法に感銘を受け、パソコンでExcelに日付と簡単なその日の内容を記録する様になりました。現在ではMacのメモでクラウドに残していますが、世界各地のサーバーが崩壊したらどのくらいのダメージが世界にあるのでしょうか。データが全部消えた後の自分の生活なんて想像もできませんが、過去にノートパソコンが水没してそうなったことがあります。重要なのは記憶している頭ですので、ヨシフ・ブロツキーという詩人は詩に真剣に向き合う者なら最低1000行暗唱できなければならないと言っていました。つまりは記憶することが重要なので、手段はどうでもいいわけです。過去に詩人もいくらか会ったのですが、どの詩人が印象深かったか、と言われると、原稿を見ずに暗唱だけで朗々と語り続けた詩人かもしれません。彼が言っていることが合っているのか、間違っているのかわかりません。テキストを比較しながら聞いていたわけではないので、いい加減だったのかもしれません。ただ、その演技力と度胸の様なものに感動したのだと思います。

ロシアのテレビをよく見ているのですが、日本のテレビで見る殺伐としたウクライナ戦争の風景と異なり、ケンタッキーであったり接収企業のCMが牧歌的に流れています。ドラマや映画で戦争物が多かったり、失踪や捜索といったテーマも暗に戦争を示しているのかもしれません。戦争前と同じ様にやたらと遺伝子で家族を探したり、老人向け健康番組も流れています。「坊やは去ったけれど、男は残ったのね」というのは2022年12月の国策CMです。国を去っていく金持ちを「坊や」と呼び、国を守るために残った若者を「男」と呼んでいました。これも貧乏な人が脱出できなかっただけというパロディがあります。映画大国でもあるので国策CMやプロパガンダMVも質が高いのですが、パロディが作られたり、ネット上ではツッコミだらけになっています。何か功利的な動機だけでロシア語を学ぶというのは今は難しいでしょう。敵を完全に無視するよりは、敵を傍受するためにもロシア語が必要だ、というのも戦時らしい学習です。戦後日本文学者になったサイデンステッカーも日本語は戦争中に学んだものです。動機は戦前のようなロシア文学やバレエ、クラシックが好きだからという美しい動機でもいいのですが、ロシア語は他の多くの言語と同じく学習には意味があります。ウクライナへの関心がウクライナ語学習につながる様に、現在ロシア語を学んだとしても短期間では終わりません。ウクライナは復興以後も膨大な借金を抱えています。ウクライナ支援が一過性のものではなく何十年もかかるように、学習は何年も続きます。大学を出ると学習が困難になる言語の一つがロシア語です。いつでもいいのですが、大学はロシア語を学ぶには最適な時期だと思います。ウクライナ語も教科書は書店で買えます。無駄か無駄でないかなど結局一生終えるくらいにでもならないとわからないものでしょう。

プロフィール(経歴、趣味、等)

 1977年福岡県福岡市生まれ。男子校でぱっとしない時代の市川高校を卒業した後、浪人したために駿台予備校を経て、東京外国語大学ロシア語科に入学。同大学卒業後は同大院で仮面浪人。神保町でイタリア書房の店員をしたのち、東京大学大学院に入学。憧れの東大でも最低限の授業に出ただけで、日本橋の丸善でバイト三昧。博士課程進学後は運よく文部科学省長期留学生派遣制度を貰いモスクワ大学に3年間留学。初めて研究者らしい生活をするようになる。帰国後は思ったほど反響も職もなく派遣社員として働き、単位取得満期中退。その後運よく学振PDを取れたためにスタンフォード大学スラヴ科でVisiting scholarとして1年半過ごす。帰国して学振終了後は島根県立大学で英語の嘱託助手として勤務。その後、東大研究員、関東学院大学非常勤講師などを経て現職。

 映画は好きです。監督で見る人も最近少なくなったそうです。最近では侯孝賢を全作観ましたが、80年代の『ステキな彼女』のような初期コメディや中期の『恋恋風塵』のような青春4部作が好きです。敬愛するメル・ブルックスの『プロデューサーズ』や『サイレントムービー』といった笑いは現代でも必要なもののように感じます。ロシアの監督ではアンドレイ・ズビャギンツェフが好きです。『女狙撃兵マリュートカ』『一年の九日』『鬼戦車T-34』や『人生案内』などソ連映画のダサさが好きです。

アニメもマンガも好きです。アニメはデアラやFateを追っています。マンガは山本さほ『岡崎に捧ぐ』や松田洋子『まほおつかいミミッチ』のような作品が好きです。音楽も好きです。ロシア留学時はワレーリー・メラゼばかり聴いていました。音楽制作もしたいと思っていてLogic Proをずっと使っています。Hybeの株主でもあるので第四世代のK-POPはよく聞いています。同じく株主でもあるのでホロライブの歌はよく聞いています。hololive IndonesiaのKobo Kanaeruの歌を聴いて以来インドネシア語に興味を持っています。ボカロは老人会くらいの世代ですが、ピノキオピーは今でも『ノンブレス・オブリージュ』などいい曲だと思います。世界中のカバーを聴くのも楽しいものです。

福岡のような田舎の中学校は部活がほぼ義務なので剣道を幼い頃からしていました。今でも剣道と柔道には思い入れがあり時折見ています。

研究内容

 専門はロシア亡命文学。博士論文までのテーマは学部時代からずっとアンドレイ・シニャフスキーというソ連の反体制作家です。国内外で作家の知人に会い、インタビューを取り、アーカイヴ資料を見ながら二つの異なる博士論文をモスクワ大学と東京大学に提出、学位を得ました。主にアンドレイ・シニャフスキーは1970年代の「第三の波」と言われる時代の亡命作家である共とに1990年代はソルボンヌ大学教授としてソルジェニーツィンに並ぶ存在感を持つ知識人でした。1990年代以降「ロシア亡命文学」も大きく変わり、国境を行ったり来たりする作家も増えています。最近ではロシア語話者が英語やドイツ語で書くtransnational/translingual literatureと言われるような文学先品も増えてきています。

 最近の関心は、このtransnational/translingual literatureと映画など他メディアの展開の研究です。国外で発表し続けているのは、アーカイヴ資料を基にした20世紀ロシア文学史の再考で、ブルームズベリー・グループと深い関わりを持ったドミトリー・ミルスキー、ジョージ・オーウェルに『1984』のアイディアを与えたグレープ・ストルーヴェ、パウル・ツェラーンやジャン・スタロヴァンスキ、イニャツィオ・シローネの友人でありフィレンツェで学位を取ったマルク・スローニムなどの文学研究者/文学史執筆者について調べています。アーカイヴ資料を使ったザミャーチンやマルク・アルダーノフの研究も発表しています。最近ではロシアにおける日本文化の受容やロシアの現代文化について執筆し、「ソ連の」インターネットや精神医学について調べ、ウクライナ戦争後は、ロシアの反体制ヒップホップについて発表をしています。

主要業績

論文・研究ノート
  • 「B・エロフェーエフ『酔いどれ列車、モスクワ発―ペトゥシキ行』」(水野忠夫編『ロシア文学:名作と主人公』自由国民社、2009年、作品解説)
  • 「亡命ロシア文学研究者 グレープ・ストルーヴェ研究」(『境界研究』第1号、2010年、145-164頁、研究ノート)
  • "On the History of the Novel We, 1937-1952: Zamiatin's We and the Chekhov Publishing House." Canadian-American Slavic Studies 45, 2011
  • «Американский период Марка Алданова» // Новый Журнал. №286. 2017.С.309-15.
  • 「ロシアでのマンガ・アニメの受容と若者文化」(『ユーラシア研究』57号、2018年、49-52頁)
  • 「サミズダートとインターネット:ナターリヤ・ゴルバネフスカヤのLiveJournal」(『Slavistika』XXXV、2020年、329-41頁)
  • Переписка И.Бунина и А.Бахраха // Новый Журнал. №303. Нью-Йорк, 2021. С.325-31.
  • 「アンドレイ・ドナートヴィチ・シニャフスキー/筆名アブラム・テルツ『おやすみなさい』」(『ロシア文学からの旅』ミネルヴァ書房、2022年、120-1頁、作品解説)
  • 「アンドレイ・シニャフスキーと「狂気」の言説――ロシアにおける精神医学と刑罰――」(『GR 同志社大学グローバル地域文化学会紀要』、第19号、2022年、35-58頁)
翻訳
  • アンドレイ・シニャフスキー『ソヴィエト文明の基礎』(みすず書房、2013、共訳)
  • オーランド・ファイジズ『ナターシャの踊り ロシア文化史』(白水社、2021、共訳)
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