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中野 幸男(ナカノ ユキオ)

中野幸男
英語表記 Yukio NAKANO
職名 准教授
研究者情報 研究者データベース

学生へのメッセージ

フランスの作家アンドレ・ジッドが 『ソヴィエト旅行記』で述べている話ですが、彼がソ連に出かけた際に、ソ連時代の「スタハーノフ運動」で通常の人間の何倍もの仕事量をこなすソ連市民を紹介され、彼が「8日間の仕事を5時間」か「5日間の仕事を8時間」で終えたという話を聞くと、ジッドは皮肉っぽく「でもそれは以前は5時間で終わる仕事を8日間かけていたからではないのですか」と尋ねて無視されていました。

膨大な仕事量というのは響きはいいのですが、人間ができる能力というのは限られているので、8日間の仕事を5時間でできるわけがない。ジッドの言うように、本当は5時間で終わる仕事をダラダラと8日間かけていたのがソ連市民の真実なのだと言われてもわかるような気もします。

AIの時代になると何事も効率は良くなり、AIを使ったセンスのいいショート動画などで少しは笑わされています。実際にプロンプトだけで完成度の高いリミックスができたりすると、あのステップ録音をしていた頃の打ち込みの技術はどうなったのだろうと思います。DTMの作業がプロンプトだけで一瞬で終わるのは、それこそSpliceで良質なサンプルを探して、貼り付けて曲を作る以上に手のかからない作曲でしょう。AIイラストは世の中に普及していますし「いらすとや」よりも安易に希望通りのイラストが生成されています。 

研究や教育でもAIにどう対処するかという話は、割と大学内でも言われるようになったのですが、対抗策としてよく聞くのは「その場で書いてもらう」と言う即興性を生かした話になりやすいことです。完成度の高いレポートで、よく知る著者の全く知らない著書が捏造されるハルシネーションを含んだレポートが作られることを想定して、ズルのできないその場で書かせる即興作文になると言うわけです。ロシアの口頭試験の「くじ引き」のようなものでしょうか。ロシアの哲学の試験では「プラトンのイデア論」とか「カントの至上命題」など書かれた「くじ」を引いて、即興で(大部分は記憶していましたが)解答を口頭で伝えるという試験でした。言葉が違うだけで、日本の試験をこなす人には大して難しくもありません。

「即興」と言うのも古くは映画『アマデウス』のモーツァルトの演奏が思い出されます。『グッド・ウィル・ハンティング』みたいな地味な数学の天才と異なり音楽の天才はわかりやすいので、ピアノみたいな器楽は上手下手が明らかです。そのため『シャイン』みたいな音楽映画でも「天才」はわかりやすいのですが、問題はその演出です。どうやって天才を観客に伝えるのかということで、『アマデウス』の有名なシーンでは、貧乏家庭出身のサリエリが神に感謝しながら作曲した曲を幼少期から天才で知られるモーツァルトは一回聞いただけで覚えたと言います。するとモーツァルトは皇帝ヨーゼフ2世からそんなに言うなら暗記を証明するために「見せてみろ」と言われて、目の前で演奏します。モーツァルトの演奏は完全に凡人サリエリの曲を再現しただけでなく、その繰り返しの陳腐さを指摘しながら「こうしたらどうだろう」と即興でアレンジすると、凡人のつまらない曲がみるみる素晴らしいモーツァルトの名曲に変わっていくというシーンでした。映画なので、それを音楽と周囲のリアクションと役者の演技で表現するわけです。

器楽に限らず即興というのはストリートピアノでもギターの演奏でも歌でもダンスでもそうですが、それまでの蓄積をわかりやすく一瞬で見せるものです。ある程度は自動化した外国語もそうですが、それほど頭で考えなくても反応しますし、楽譜がなくても、コードが曖昧でも、カウントを取らなくても即興で証明できるわけです。数々の映画がそういった「見せてみろ」Show usという即興で実力を証明するシーンで彩られてきました。こういうステージに上がるような特技はほとんどの人はないのでTalent showのような機会が身近になくて本当に良かったと思いますが、たまに海外に行くとそういう機会があるので、仕方なく日本の歌を歌ったりするわけです。歌同様に「何か絵を描いて」とか言われてもなかなかすぐには描けないものです。ギターを渡されてもコードすら知らなかったりしますし、踊るなんてもってのほかです。フリースタイルでマイクを渡されても困るだけでしょう。日常会話ではない非常事態の通訳も、本当にできるかは準備次第でしょう。 

井伊華言という名前でも知られる比較文学の沓掛良彦先生は以前、何か外国語をするなら最低2000ページは読まないといけないと言っていました。英語とロシア語で詩を書いてノーベル文学賞を受賞した詩人のブロツキーはセメスターごとに学生に2000行詩を暗記させると言っていました。「暗記」も最近は評判が悪いですが、一瞬の即興のために膨大な努力が背後にあるのでしょう。膨大な努力が自然に毎日のスケジュールに入っている人もいるでしょうし、それを楽しむ才能を本当に持っている人もいるのでしょう。英語を見てもわかるように、習得には同じくらいの努力が必要です。 

現状ではAIを使って科研費の申請書も博士論文も書けないのでまだまだ雑用に甘んじている時代だと思いますが、気晴らしのギャグであったり、実験的に生成する外国語の文章を見るのは楽しいかと思います。まだまだ自己責任が重くのしかかり、ハルシネーションが露骨なものは質が低く見られます。学生時代の努力はそれほど就職に直結しなかったりしますが、語学試験くらいなら日々の努力が成果として現れる気もします。目に見える成果は嬉しいものですし、履歴書に載るものだと尚更です。一方、履歴書に乗らない即興イラストやギターやダンスの能力も、長い人生を考えると、身体的にも精神的にも健康な人生を送るための要素かもしれません。大学在学中は年間22週も自由な時間があることを考えれば、ゆっくり天井のしみや空を眺めて一日過ごすような日があってもそれほど問題もないでしょう。ましてや好きなことなら尚更時間を費やすことができるわけです。一日中イラストを描いていたり、ギターやダンスに耽っている時代というのも、思い返すといい大学時代の思い出にもなるかもしれません。

プロフィール(経歴、趣味、等)

   1977年福岡県福岡市生まれ。男子校でぱっとしない時代の千葉の市川高校を卒業した後、浪人したために駿台予備校を経て、東京外国語大学ロシア語科に入学。同大学卒業後は同大院で仮面浪人。神保町でイタリア書房のバイト店員をしたのち、東京大学大学院に入学。憧れの東大でも最低限の授業に出ただけで、日本橋の丸善でバイト三昧。アルバイトは他にもテレビの観客、交通量調査、首都圏のアンケート調査、アパレルのセール設営などをし、大学院時代はNHKの放送モニターで小銭を稼いでいた。博士課程進学後は運よく文部科学省長期留学生派遣制度を貰いモスクワ大学に3年間留学。初めて研究者らしい生活をするようになる。帰国後は思ったほど反響も職もなく派遣社員として働き、単位取得満期中退。その後運よく学振PDを取れたためにスタンフォード大学スラヴ科でVisiting scholarとして1年半過ごす。帰国して学振終了後は島根県立大学で英語の嘱託助手として勤務。その後、東大研究員、関東学院大学非常勤講師などを経て現職。

 映画は好きです。敬愛するメル・ブルックスの『プロデューサーズ』や『サイレントムービー』といった笑いは現代でも必要なもののように感じます。フランス版の『シティーハンター』の『ニッキー・ラーソン』は面白い映画でした。ロシアの監督ではアンドレイ・ズビャギンツェフが好きです。『女狙撃兵マリュートカ』『一年の九日』『鬼戦車T-34』や『人生案内』などソ連映画のダサさが好きです。アニメもマンガも好きです。アニメはデアラやFateを追っています。マンガは『これ描いて死ね』『ドリームジャンボガール』のような作品が好きです。音楽も好きです。ロシア留学時はワレーリー・メラゼばかり聴いていました。研究会の関連もありロシアのヒップホップも聞いています。音楽制作もしたいと思っていてSpliceの素材をLogic Proで貼り付けて曲を作っています。K-POPは売れない頃にファンミに行ったRESCENEが好きです。昨今では京都で能・狂言などの古典芸能を見るようになりました。福岡のような田舎の中学校は部活がほぼ義務なので剣道を幼い頃からしていました。

研究内容

 専門はロシア亡命文学。博士論文までのテーマは学部時代からずっとアンドレイ・シニャフスキーというソ連の反体制作家です。国内外で作家の知人に会い、インタビューを取り、アーカイヴ資料を見ながら二つの異なる博士論文をモスクワ大学と東京大学に提出、学位を得ました。主にアンドレイ・シニャフスキーは1970年代の「第三の波」と言われる時代の亡命作家である共とに1990年代はソルボンヌ大学教授としてソルジェニーツィンに並ぶ存在感を持つ知識人でした。1990年代以降「ロシア亡命文学」も大きく変わり、国境を行ったり来たりする作家も増えています。最近ではロシア語話者が英語やドイツ語で書くtransnational/translingual literatureと言われるような文学先品も増えてきています。
 最近の関心は、このtransnational/translingual literatureと映画など他メディアの展開の研究です。国外で発表し続けているのは、アーカイヴ資料を基にした20世紀ロシア文学史の再考で、ブルームズベリー・グループと深い関わりを持ったドミトリー・ミルスキー、ジョージ・オーウェルに『1984』のアイディアを与えたグレープ・ストルーヴェ、パウル・ツェラーンやジャン・スタロヴァンスキ、イニャツィオ・シローネの友人でありフィレンツェで学位を取ったマルク・スローニムなどの文学研究者/文学史執筆者について調べています。「ロシア文学史」あるいはロシアにおける「文学史」そのものについての変化についても関心があり調べています。アーカイヴ資料を使ったザミャーチンやマルク・アルダーノフの研究も発表しています。最近ではロシアにおける日本文化の受容やロシアの現代文化について執筆し、「ソ連の」インターネットや精神医学について調べ、ウクライナ戦争後は、ロシアの反体制ヒップホップやポップカルチャーについて発表・執筆をしています。

主要業績

論文・研究ノート

  • 「B・エロフェーエフ『酔いどれ列車、モスクワ発―ペトゥシキ行』」(水野忠夫編『ロシア文学:名作と主人公』自由国民社、2009年、作品解説)
  •  「亡命ロシア文学研究者 グレープ・ストルーヴェ研究」(『境界研究』第1号、2010年、145-164頁、研究ノート)
  • "On the History of the Novel We, 1937-1952: Zamiatin's We and the Chekhov Publishing House." Canadian-American Slavic Studies 45, 2011
  • 「ロシアでのマンガ・アニメの受容と若者文化」(『ユーラシア研究』57号、2018年、49-52頁)
  • 「サミズダートとインターネット:ナターリヤ・ゴルバネフスカヤのLiveJournal」(『Slavistika』XXXV、2020年、329-41頁)
  • 「アンドレイ・シニャフスキーと「狂気」の言説――ロシアにおける精神医学と刑罰――」(『GR 同志社大学グローバル地域文化学会紀要』、第19号、2022年、35-58頁)
  • 「亡命ロシア文学史におけるマルク・スローニム」(『GR 同志社大学グローバル地域文化学会紀要』、第21・22号、2024年、19-45頁) 
  • 「『亡命』するラッパーたち--二〇二〇年代の『文学裁判』とウクライナ戦争」島村一平編『辺境のラッパーたち 立ち上がる「声の民族誌」』青土社、2024年、99-125頁。
  • «Марк Алданов в “Новом Русском Слове”»// Новый Журнал. №322. Нью-Йорк, 2026. С.336-343. 
  • 「ウクライナ戦争期ロシアの「亡命」ミュージシャンについて」、『グローバル地域研究についての50章』明石書店、2026年、308-310頁。

翻訳

  • アンドレイ・シニャフスキー『ソヴィエト文明の基礎』(みすず書房、2013、共訳)
  • オーランド・ファイジズ『ナターシャの踊り ロシア文化史』(白水社、2021、共訳)
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