ヨーロッパ地域 教員一覧
中野 幸男(ナカノ ユキオ)

英語表記 | Yukio NAKANO |
---|---|
職名 | 助教 |
主な担当科目 | グローバル地域文化発展セミナーⅠ・Ⅱ、 グローバル地域文化専門セミナーⅠ・Ⅱ、 卒業論文、 ヨーロッパ地域の文化5、 ロシア文学、 ロシア語関連科目 |
所属コース名 | ヨーロッパコース |
研究者情報 | 研究者データベース |
学生へのメッセージ
ブックガイドとしてのメッセージと世界情勢について(2022年)
学生時代というのは時間だけはあり、使い方を間違えるとずっと悩み続けたり、ずっと何もしないまま過ごし、その何もしないことに対して罪悪感を覚えたりします。歳を取るにつれて何もしないことに対し次第に罪悪感を感じることもなくなり、平日昼間にぶらぶらしていてもなんとも思いません。ランティエ(高等遊民)気取りというのは、前の世代の作家に感じられたものです。植草甚一、坪内祐三あたりの文章を読んでいると、映画と本と音楽に塗れた人生も悪くないと考えていました。早稲田的な感じもしますが、好ましいランティエ像です。その後に研究者を志望しながら、頭の中で考えていたのは「一生本を読んで過ごしたい」くらいの発想でした。高校末期はコリン・ウィルソンと澁澤龍彦そして寺山修司というアングラとオカルトでした。予備校では受験勉強も兼ねて浅田彰や柄谷行人のニューアカを読んでいたのですが、駿台で習っていたのは東大全共闘・三島討論会の東大側だった小阪修平でした。その後は評論家ばかり好み、呉智英、高島俊男、小谷野敦や大塚英志を読んでいました。いずれも個性的な書き手ばかりですが、存命の人もいれば鬼籍に入った人もいます。役に立たないものをいっぱい見たり読んだりしていたのが大学時代で、本当に端からレンタルビデオを借り、古書店のワゴンでいらない本を収集しながら読んでいました。今でもマンガやアニメは面白いのですが、同じような感覚で新書を読んでいました。関係ないことでも新書くらいは読んでおくという旧世代の習慣をある程度引き継いでいたのだと思います。一人だけ大学院生の頃まで京大カードを使って情報整理していたのも旧世代の影響です。世界的にもカード式情報整理というのは昔の学者はよくしています。
当時好んで見ていた爆笑問題の太田が「好きなのに作品名すら言えない人」の話をどこかでしていて、自分も身につまされることがあったので、それ以降好きな映画監督を話すときにはだいたい全作品見てから話すようにしています。当時の爆笑問題の漫才であった「日常会話ならできるって?じゃあ非常時には何も喋れない?」という太田の言葉は今でも覚えています。外国語教育も日常会話レベルを目指しますが、日常会話だけだと何もできないようなものなので、語学試験を受験したり、通訳資格を取って形に残しておくといいと思います。沓掛良彦は外国語は学ぶなら最低2000ページ読まなくてはいけないと言っていました。できない数字でもないと思います。
世界情勢は完全にロシア語を産業界から遠ざけていますが、ソ連時代は国交はなくともロシア語は学ばれましたし、911の時のアラビア語とまでは言いませんが、困難な時代に言語を学ぶことによって英語経由でなく、直接、理解できない人々を理解しようという知的な態度が望ましいと思います。学生に向けている同じことは自分にも帰ってくるので、一生かけて言語は学び続けるものだと考えています。文学に関しては世相に流されるような小さなものではないのですが、読み方や理解も時代によって変わります。言語同様に学び続けるものだと思います。ただ、文学は強制されることはないので、関心があればロシア語でも、ウクライナ語でも、読むだけです。
亡命ロシアを研究している身からすると、どこかで見たような風景がまた見られることに驚きを感じています。ソ連時代は命をかけて反体制運動を行なった作家は収容所に送られています。その後、収容所を経て亡命します。第二次大戦は「ヒトラーの贈り物」と言われたアメリカに多大な貢献をもたらしたユダヤ人研究者の一群を生み出しましたが、ソ連時代の亡命ロシア人の貢献も戦後の各地で見られています。「プーチンの贈り物」があるとは思いませんが、多くの優秀な研究者も国外脱出を余儀なくされています。現在も多くの大学で学生や研究者の受け入れを始めています。
混迷する時期に過去のようなポジティブなことをいう事は難しいのですが、ロシア語はそれでも役に立つので、ロシア語を今勉強することには意味があります。理解できない現象に対しても、ロシア語を学んで直接TelegramなどのSNSでさまざまなフェイクと真実を見極めて欲しいものだと思います。
学生時代というのは時間だけはあり、使い方を間違えるとずっと悩み続けたり、ずっと何もしないまま過ごし、その何もしないことに対して罪悪感を覚えたりします。歳を取るにつれて何もしないことに対し次第に罪悪感を感じることもなくなり、平日昼間にぶらぶらしていてもなんとも思いません。ランティエ(高等遊民)気取りというのは、前の世代の作家に感じられたものです。植草甚一、坪内祐三あたりの文章を読んでいると、映画と本と音楽に塗れた人生も悪くないと考えていました。早稲田的な感じもしますが、好ましいランティエ像です。その後に研究者を志望しながら、頭の中で考えていたのは「一生本を読んで過ごしたい」くらいの発想でした。高校末期はコリン・ウィルソンと澁澤龍彦そして寺山修司というアングラとオカルトでした。予備校では受験勉強も兼ねて浅田彰や柄谷行人のニューアカを読んでいたのですが、駿台で習っていたのは東大全共闘・三島討論会の東大側だった小阪修平でした。その後は評論家ばかり好み、呉智英、高島俊男、小谷野敦や大塚英志を読んでいました。いずれも個性的な書き手ばかりですが、存命の人もいれば鬼籍に入った人もいます。役に立たないものをいっぱい見たり読んだりしていたのが大学時代で、本当に端からレンタルビデオを借り、古書店のワゴンでいらない本を収集しながら読んでいました。今でもマンガやアニメは面白いのですが、同じような感覚で新書を読んでいました。関係ないことでも新書くらいは読んでおくという旧世代の習慣をある程度引き継いでいたのだと思います。一人だけ大学院生の頃まで京大カードを使って情報整理していたのも旧世代の影響です。世界的にもカード式情報整理というのは昔の学者はよくしています。
当時好んで見ていた爆笑問題の太田が「好きなのに作品名すら言えない人」の話をどこかでしていて、自分も身につまされることがあったので、それ以降好きな映画監督を話すときにはだいたい全作品見てから話すようにしています。当時の爆笑問題の漫才であった「日常会話ならできるって?じゃあ非常時には何も喋れない?」という太田の言葉は今でも覚えています。外国語教育も日常会話レベルを目指しますが、日常会話だけだと何もできないようなものなので、語学試験を受験したり、通訳資格を取って形に残しておくといいと思います。沓掛良彦は外国語は学ぶなら最低2000ページ読まなくてはいけないと言っていました。できない数字でもないと思います。
世界情勢は完全にロシア語を産業界から遠ざけていますが、ソ連時代は国交はなくともロシア語は学ばれましたし、911の時のアラビア語とまでは言いませんが、困難な時代に言語を学ぶことによって英語経由でなく、直接、理解できない人々を理解しようという知的な態度が望ましいと思います。学生に向けている同じことは自分にも帰ってくるので、一生かけて言語は学び続けるものだと考えています。文学に関しては世相に流されるような小さなものではないのですが、読み方や理解も時代によって変わります。言語同様に学び続けるものだと思います。ただ、文学は強制されることはないので、関心があればロシア語でも、ウクライナ語でも、読むだけです。
亡命ロシアを研究している身からすると、どこかで見たような風景がまた見られることに驚きを感じています。ソ連時代は命をかけて反体制運動を行なった作家は収容所に送られています。その後、収容所を経て亡命します。第二次大戦は「ヒトラーの贈り物」と言われたアメリカに多大な貢献をもたらしたユダヤ人研究者の一群を生み出しましたが、ソ連時代の亡命ロシア人の貢献も戦後の各地で見られています。「プーチンの贈り物」があるとは思いませんが、多くの優秀な研究者も国外脱出を余儀なくされています。現在も多くの大学で学生や研究者の受け入れを始めています。
混迷する時期に過去のようなポジティブなことをいう事は難しいのですが、ロシア語はそれでも役に立つので、ロシア語を今勉強することには意味があります。理解できない現象に対しても、ロシア語を学んで直接TelegramなどのSNSでさまざまなフェイクと真実を見極めて欲しいものだと思います。
プロフィール(経歴、趣味、等)
1977年福岡県福岡市生まれ。男子校でぱっとしない時代の市川高校を卒業した後、浪人したために駿台予備校を経て、東京外国語大学ロシア語科に入学。同大学卒業後は同大院で仮面浪人。神保町でイタリア書房の店員をしたのち、東京大学大学院に入学。憧れの東大でも最低限の授業に出ただけで、日本橋の丸善でバイト三昧。博士課程進学後は運よく文部科学省長期留学生派遣制度を貰いモスクワ大学に3年間留学。初めて研究者らしい生活をするようになる。帰国後は思ったほど反響も職もなく派遣社員として働き、単位取得満期中退。その後運よく学振PDを取れたためにスタンフォード大学スラヴ科でVisiting scholarとして1年半過ごす。帰国して学振終了後は島根県立大学で英語の嘱託助手として勤務。その後、東大研究員、関東学院大学非常勤講師などを経て現職。
映画は好きです。最近では成瀬巳喜男の作品を見ています。高峰秀子が好きなので『秀子の車掌さん』(1941)、『妻として女として』(1961)などが好きです。名女優は文章も面白く、梶芽衣子、秋吉久美子、岸惠子の最近発表された回想は全て面白いものです。ロシアの監督ではアンドレイ・ズビャギンツェフが好きです。『女狙撃兵マリュートカ』『一年の九日』『鬼戦車T-34』や『人生案内』などソ連映画のダサさが好きです。
アニメもマンガも好きです。アニメはデアラやFateを追っています。マンガは山本さほ『岡崎に捧ぐ』や松田洋子『まほおつかいミミッチ』のような作品が好きです。音楽も好きです。ロシアのテクノポップは哀愁のあるメロディーがタクシーによく合っていて、タクシーのラジオではAvtoradioを聞いてる人が多かったような気がします。留学時はВалерий Меладзеばかり聴いていました。音楽制作もしたいと思っていてLogic Proをずっと使っています。音楽はイギリスの歌わないバンドDry Cleaningをかっこいいと思って聴いていたのですが、カラオケで歌えるのはプリコネとナナシスの曲くらいしかありません。地下アイドルはコロナでだいぶ会場には行っていませんが、かすみ草とステラ、3776、RYUTistなどが好きです。
映画は好きです。最近では成瀬巳喜男の作品を見ています。高峰秀子が好きなので『秀子の車掌さん』(1941)、『妻として女として』(1961)などが好きです。名女優は文章も面白く、梶芽衣子、秋吉久美子、岸惠子の最近発表された回想は全て面白いものです。ロシアの監督ではアンドレイ・ズビャギンツェフが好きです。『女狙撃兵マリュートカ』『一年の九日』『鬼戦車T-34』や『人生案内』などソ連映画のダサさが好きです。
アニメもマンガも好きです。アニメはデアラやFateを追っています。マンガは山本さほ『岡崎に捧ぐ』や松田洋子『まほおつかいミミッチ』のような作品が好きです。音楽も好きです。ロシアのテクノポップは哀愁のあるメロディーがタクシーによく合っていて、タクシーのラジオではAvtoradioを聞いてる人が多かったような気がします。留学時はВалерий Меладзеばかり聴いていました。音楽制作もしたいと思っていてLogic Proをずっと使っています。音楽はイギリスの歌わないバンドDry Cleaningをかっこいいと思って聴いていたのですが、カラオケで歌えるのはプリコネとナナシスの曲くらいしかありません。地下アイドルはコロナでだいぶ会場には行っていませんが、かすみ草とステラ、3776、RYUTistなどが好きです。
研究内容
専門はロシア亡命文学。博士論文までのテーマは学部時代からずっとアンドレイ・シニャフスキーというソ連の反体制作家です。国内外で作家の知人に会い、インタビューを取り、アーカイヴ資料を見ながら二つの異なる博士論文をモスクワ大学と東京大学に提出、学位を得ました。主にアンドレイ・シニャフスキーは1970年代の「第三の波」と言われる時代の亡命作家である共とに1990年代はソルボンヌ大学教授としてソルジェニーツィンに並ぶ存在感を持つ知識人でした。1990年代以降「ロシア亡命文学」も大きく変わり、国境を行ったり来たりする作家も増えています。最近ではロシア語話者が英語やドイツ語で書くtransnational/translingual literatureと言われるような文学先品も増えてきています。
最近の関心は、このtransnational/translingual literatureと映画など他メディアの展開の研究です。国外で発表し続けているのは、アーカイヴ資料を基にした20世紀ロシア文学史の再考で、ブルームズベリー・グループと深い関わりを持ったドミトリー・ミルスキー、ジョージ・オーウェルに『1984』のアイディアを与えたグレープ・ストルーヴェ、パウル・ツェラーンやジャン・スタロヴァンスキ、イニャツィオ・シローネの友人でありフィレンツェで学位を取ったマルク・スローニムなどの文学研究者/文学史執筆者について調べています。アーカイヴ資料を使ったザミャーチンやマルク・アルダーノフの研究も発表しています。最近ではロシアにおける日本文化の受容やロシアの現代文化について執筆し、「ソ連の」インターネットについても調査しています。
翻訳
最近の関心は、このtransnational/translingual literatureと映画など他メディアの展開の研究です。国外で発表し続けているのは、アーカイヴ資料を基にした20世紀ロシア文学史の再考で、ブルームズベリー・グループと深い関わりを持ったドミトリー・ミルスキー、ジョージ・オーウェルに『1984』のアイディアを与えたグレープ・ストルーヴェ、パウル・ツェラーンやジャン・スタロヴァンスキ、イニャツィオ・シローネの友人でありフィレンツェで学位を取ったマルク・スローニムなどの文学研究者/文学史執筆者について調べています。アーカイヴ資料を使ったザミャーチンやマルク・アルダーノフの研究も発表しています。最近ではロシアにおける日本文化の受容やロシアの現代文化について執筆し、「ソ連の」インターネットについても調査しています。
主要業績
論文・研究ノート- 「B・エロフェーエフ『酔いどれ列車、モスクワ発―ペトゥシキ行』」(水野忠夫編『ロシア文学:名作と主人公』自由国民社、2009、作品解説)
- 「亡命ロシア文学研究者 グレープ・ストルーヴェ研究」(『境界研究』第1号、2010年、研究ノート、145-164頁)
- "On the History of the Novel We, 1937-1952: Zamiatin's We and the Chekhov Publishing House." Canadian-American Slavic Studies 45, 2011
- «История издания романа «Мы» на русском языке» // Новый Журнал. №277. 2014.C.319-325.
- «Из переписки Глеба Струве» // Новый Журнал. №282. 2016.С.313-317.
- «Американский период Марка Алданова» // Новый Журнал. №286. 2017.С.309-315.
- 「ロシアでのマンガ・アニメの受容と若者文化」『ユーラシア研究』57号、2018年、49-52頁.
- 「サミズダートとインターネット:ナターリヤ・ゴルバネフスカヤのLiveJournal」(『Slavistika』XXXV、2020年、329-341頁)
- Переписка И.Бунина и А.Бахраха // Новый Журнал. №303. Нью-Йорк, 2021. С.325-331.
翻訳
- アンドレイ・シニャフスキー『ソヴィエト文明の基礎』(みすず書房、2013、共訳)
- オーランド・ファイジズ『ナターシャの踊り ロシア文化史』(白水社、2021、共訳)