ヨーロッパ地域 教員一覧
小野 文生(オノ フミオ)
英語表記 | Fumio ONO |
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職名 | 教授 |
主な担当科目 | グローバル地域文化論Ⅱ グローバル地域文化導入セミナー グローバル地域文化教養セミナー7(思想研究) グローバル地域文化専門セミナーⅠ・Ⅱ 卒業論文 ヨーロッパ地域の文化3 グローバル地域文化学の実践1 ドイツ語関連科目 |
所属コース名 | ヨーロッパコース |
研究者情報 | 研究者データベース |
学生へのメッセージ
何を学びたいのか。何を求めているのか。大学という場に身を置こうとするひとであれば、一度ならずこうした問いを抱くことでしょう。これらの問いの奥底には、当然ながら、何のために学ぶのかというさらに大きな問いが横たわっています。とはいえ、「そもそも何のために?」という問いに答えることは、表面的な答えで満足するなら別ですが、なかなか容易なことではありません。「そもそも何のために?」という問いは、自分を含め、社会や世界の存在の根拠を深く掘りさげてゆく行為でもあるからです。
「どのようにして、ひとはものを考え始めるのでしょうか?」かつてこのように問われたとき、フランスで活躍したユダヤ人哲学者E・レヴィナスは次のように答えています。「おそらく、ことばでは形容することさえできないようなこころの深い傷や、ことばでは如何ともしがたいような手探りから始まるのでしょう。たとえば、誰かや何かと別離したとき、暴力的な場面に出会ったとき、単調すぎる時間に突然気づいてしまったときなどです。こうして最初に受けたショックが疑問や問題となり、ものを考えるきっかけを与えるのは、しかし書物を読むことによってです。〔……〕といっても読書を通してことばを学ぶからではありません。読書によって、ひとは《存在していない真の生》を生きることになるからです。〔……〕書物はわたしたち人間の存在様式のひとつであるはずなのに、それはたんなる情報源、学習の「道具」、マニュアルとみなされてしまっています。」
大学という場所は、たんなる情報源、学習の道具、マニュアルを得ることに飽き足りないひと、「そもそも何のために?」という問いを真剣に考えてみたいと願うひとが集まる場所ではないでしょうか。学ぶことの意味、《真の生》の意味の探求は、とはいえ、その先にどのような〈希望〉を生み出すというのでしょうか。たしかに、いま、この時代に、大上段から希望を語ることは難しいのかもしれません。希望ということばが一時の慰みにもならないほどの絶望的なできごとが世界のいたるところで日々生じている一方で、シニシズムやニヒリズムとさえ呼べないような、あまりに軽薄な希望の言説の数々があふれています。しかし、それにもかかわらず、否、そういうときだからこそ、臆面もなく〈希望〉を語ろうとしたひとびとの声を聴き、その思想や生き方に学ぼうとすることが求められているようにおもわれます。そんな「声」のひとつとおもわれる、多分に逆説が含まれた一節をここで紹介し、学びへの誘いのメッセージとします。
「わたしは〈教え〉をもっていない。ただ、そうした諸現実を指し示す役目を負っているだけである。この種の指し示しとはいささか異なった何らかの教えをわたしに期待する者は、つねに失望を味わうことになるだろう。確固たる教えを有することは、そもそもわたしたちのこの世界時代にあって重要なことではない。むしろ重要なのは、永遠なる現実を認識し、その永遠なる現実の力から実現化してくるひとつの現実をしっかりともちこたえることである。たしかに、この荒涼たる夜において道は何ひとつ示されえない。だが大切なのは、ひとがこころ構えをして耐えしのぶのを助けることである。いつか夜が明けそめて、誰もおもいもよらなかったところに道が開けているのが見えてくるまで。」(M・ブーバー)
「どのようにして、ひとはものを考え始めるのでしょうか?」かつてこのように問われたとき、フランスで活躍したユダヤ人哲学者E・レヴィナスは次のように答えています。「おそらく、ことばでは形容することさえできないようなこころの深い傷や、ことばでは如何ともしがたいような手探りから始まるのでしょう。たとえば、誰かや何かと別離したとき、暴力的な場面に出会ったとき、単調すぎる時間に突然気づいてしまったときなどです。こうして最初に受けたショックが疑問や問題となり、ものを考えるきっかけを与えるのは、しかし書物を読むことによってです。〔……〕といっても読書を通してことばを学ぶからではありません。読書によって、ひとは《存在していない真の生》を生きることになるからです。〔……〕書物はわたしたち人間の存在様式のひとつであるはずなのに、それはたんなる情報源、学習の「道具」、マニュアルとみなされてしまっています。」
大学という場所は、たんなる情報源、学習の道具、マニュアルを得ることに飽き足りないひと、「そもそも何のために?」という問いを真剣に考えてみたいと願うひとが集まる場所ではないでしょうか。学ぶことの意味、《真の生》の意味の探求は、とはいえ、その先にどのような〈希望〉を生み出すというのでしょうか。たしかに、いま、この時代に、大上段から希望を語ることは難しいのかもしれません。希望ということばが一時の慰みにもならないほどの絶望的なできごとが世界のいたるところで日々生じている一方で、シニシズムやニヒリズムとさえ呼べないような、あまりに軽薄な希望の言説の数々があふれています。しかし、それにもかかわらず、否、そういうときだからこそ、臆面もなく〈希望〉を語ろうとしたひとびとの声を聴き、その思想や生き方に学ぼうとすることが求められているようにおもわれます。そんな「声」のひとつとおもわれる、多分に逆説が含まれた一節をここで紹介し、学びへの誘いのメッセージとします。
「わたしは〈教え〉をもっていない。ただ、そうした諸現実を指し示す役目を負っているだけである。この種の指し示しとはいささか異なった何らかの教えをわたしに期待する者は、つねに失望を味わうことになるだろう。確固たる教えを有することは、そもそもわたしたちのこの世界時代にあって重要なことではない。むしろ重要なのは、永遠なる現実を認識し、その永遠なる現実の力から実現化してくるひとつの現実をしっかりともちこたえることである。たしかに、この荒涼たる夜において道は何ひとつ示されえない。だが大切なのは、ひとがこころ構えをして耐えしのぶのを助けることである。いつか夜が明けそめて、誰もおもいもよらなかったところに道が開けているのが見えてくるまで。」(M・ブーバー)
プロフィール(経歴、趣味、等)
1974年、琵琶湖の北、山と田畑に囲まれた滋賀県湖北地方に生まれ育ちました。名古屋大学教育学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了および博士後期課程学修認定退学。京都大学博士(教育学)。大学院の途中で京都を離れ、ベルリン・フンボルト大学に留学。旧東独時代の名残をとどめつつも新生の息吹を感じさせ、多様な文化や歴史が行き交う「辺境のコスモポリス」ベルリンでそのとき想い、考えたことは、いまでもわたしの基礎的経験の一部として生きているようにおもいます。研究テーマにかかわって、現在もベルリン自由大学(ドイツ)、ストラスブール大学(フランス)、ウィーン大学(オーストリア)、ヘブライ大学(イスラエル)などの研究者とつながりをもちつつ研究を進めています。京都大学大学院教育学研究科助手、京都大学JSPS助手、日本学術振興会特別研究員PD、京都大学特定助教(グローバルCOE)などを経て、2013年4月より同志社大学グローバル地域文化学部准教授。
研究内容
「ドイツ近代の哲学」、「ユダヤ思想」、「教育と人間形成」という3つの軸から哲学・思想史研究をおこなっています。モデルネ(近代性)、西欧形而上学(全体性)、システム(体系/制度)の成立機制を、その成立の過程で「影」や「他なるもの」や「余剰」として排除されたり包摂されたりするもの、あるいはそういったものとしてさえ承認されることのない「残りもの」の存在に着目しながら、あらためて問い直す作業を続けています。おのずと、境界、あいだ、はざま、敷居、閾といった形象とともに立ち現れるできごとや存在に魅かれます。近年の研究関心のキーワードは、「超越と内在」、「翻訳的できごと」、「異なるものへの開かれ」、「知ることと信じることのあいだ」、「アナロギアの思考」、そして「潜勢力の経験」。研究課題は、大別すると以下の6つ。
- ドイツ/フランスのユダヤ思想
(M・ブーバー、E・レヴィナス、 F・ローゼンツヴァイク、H・コーヘン、W・ベンヤミン、H・アーレント、J・デリダなどの思想、および他者、倫理、言語、共同性、異郷、歓待、翻訳といった問題群)。 - ドイツ・ロマン主義
(啓蒙近代の問い直しと教育思想の問題構制、および象徴、アレゴリー、アナロジー、ポエジー、予感、神話、物語、伝承といった問題群)。 - 世紀転換期ウィーンの思想研究
(宗教と科学、神秘主義思想と科学思想の編制過程、および現代における学知に関するメタ理論)。 - 京都学派の哲学と日本近代
(西田幾多郎、田邊元、九鬼周造、三木清などの思想、および時間、永遠、死、生命、論理、経験、偶然、ポイエーシスといった問題群)。 - 「聖なるもの」の文化の教育人間学
(伝統芸能や武道の修行・修業の思想、経典や宗教的言説における回心や覚醒のレトリック、通過儀礼や年中行事などにおける伝承形態、「聖なるもの」とミメーシスといった問題群)。 - 非在(あるのではないこと)のエチカとパトスの哲学
(鶴見俊輔、石牟礼道子、小田実、三木清、西田幾多郎、H・アーレント、E・レヴィナス、G・アガンベンの思想、および水俣病やハンセン病における受苦的経験、homo patiens、カタストロフィ、潜勢力の政治、非在の倫理といった問題群)。
主要業績
- 共編著:『教育学のパトス論的転回』(東京大学出版会、2021年)
- 『〈非在〉のエティカ――ホモ・パティエンスの人間学のために』(京都大学博士論文、2021年)
- 共著: Martin Buber. His Intellectual and Scholarly Legacy (Leiden/Boston: Brill Academic Publishers, 2018年)
- 共著: Bildung in fremden Sprachen? Pädagogische Perspektiven auf globalisierte Mehrsprachigkeit ( Bielefeld: transcript Verlag , 2018年)
- Philosophy in the Age of Globalization, But in Which Language? Translation, or Loving the Experience of Enduring Pathos ( Tetsugaku: International Journal of the Philosophical Association of Japan, Vol. 2, pp.207-227, 2018年)
- 分担執筆:『増補改訂版 教育思想事典』(勁草書房、2017年)
- 共著:『教職教養講座第3巻 臨床教育学』(協同出版、2017年)
- 共著:『災害と厄災の記憶を伝える――教育学は何ができるのか』(勁草書房、2017年)
- 「マルティン・ブーバー、非類型的思考の行方――没後50周年を記念して」(京都ユダヤ思想学会編『京都ユダヤ思想』第7号、 86-125頁、2016年)
- 共著:50 Jahre Martin Buber Bibel (Berlin/München/Münster: Lit-Verlag、2014年)
- 共著:『言語と教育をめぐる思想史』(勁草書房、2013年)
- 共著:Das Glück der Familie. Ethnographische Studien in Deutschland und Japan(Wiesbaden: Springer VS-Verlag、2011年)